ロジカルに整理されて書かれているように見えるんだけど、全体として論理性を感じず、上から目線になっているような文章って見たことないでしょうか。結果として読み手側に納得感もなく、むしろイラッとしてしまうような。特にブログで多く見かけるように思います。
そういう文章の特徴は、以下のようなものです。
1.フォーマットとしてはロジカルなツールを使って書かれている
2.ロジックに飛躍や曲解があって納得できない(なので、全体として論理的でない)
3.話のスケールが大きいわりに曖昧(なので、上から目線に感じる)
分かりやすい例がイケハヤ師のブログですね。最近のエントリ「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」を見てみると当てはまると思います。
「ツールを使って書いたほうが伝わる」という勘違い
何でこんな文章になるかというと「ロジカルに書くと伝わる」という勘違いだと思います。もちろん、感情的なだけの文章はダメなのですが、論理的な組み立てになっているだけでは伝わりません。感情的かつ論理的であるというのが大変に重要であり、そのバランスこそが文章力として問われるところです。
やまもといちろう氏なんか素晴らしいですね。「あぁ、この人はmixiと野球が好きなんだなぁ」と伝わってきます。あと小野和俊氏とか。「この人はバカか天才かどっちなんだ」と思っちゃうわけです。
イケハヤ師でいえば「僕は挨拶が苦手なので、やれと言われても嫌です」という感情論なら分からなくもありません。「うん、俺も苦手だから嫌だな」という共感がありえます。しかし、そういった感情なしに文章の組み立てだけが論理的に「日本社会では挨拶を強要するが、これは問題だ」と書かれると「ちょっと待て」となってしまいます。
ロジックは書くためではなく考えるために使う
おそらく文章のような”アウトプット”というのは「問題について考えて考えて考えて行く中で得た洞察を整理したもの」であるべきなのです。ロジカルなツールは、最初の「考えて考えて考えて行く」過程において活用します。
考えることを疎かにしてアウトプットだけをロジカルにしようとすると「ロジカル風だけど意味が分からない」という文章になります。深く考えていないから表現も抽象的で曖昧。そこに、"大きくてそれっぽい言葉"(日本社会とか世の中とか)を被せてしまうのが最悪で、上から目線でありつつ浅はかな印象を与えてしまうことになります。
気づきから「考える作業」をする
では、どうしたらいいのか。
まずは自分の「俺、こう感じた」みたいな”気づき”の感情は大事です。「なんか引っかかる」とか「ゴーストが囁く」とかなんでもいいです。で、その”気づき”を入り口に「考えて考えて考えて行く」という作業をしないといけない。
で、自分の気づきはどこから出てきたのかを徹底的に洗う。自分の感情をロジカルに説明しようと努力する。そのときに世の中の一般論や流布している言説に流されないようにします。参考にするのは良いですが、その結論を安易に持ち込んではいけません。
また、考えるというのは「腕を組んで天井を見上げる」のではなく、字や絵を書いて「考える作業」をしていきます。このときにロジカルシンキングのようなツールが役に立つでしょう。
て、こういう作業をして考えを深めていくなかで新たな問題構造や解決策が発見されるのです。よくよく考えてみた結果として、すごく一般的なつまらない結論になることもあります。そしたら、それは没になります。
良い洞察が得られれば、あとは、どうやったら人に伝えられるかを整理すればよいでしょう。ブログを書くって、そういう作業だと思います。
ブログを書くのが早い人は、この作業を日常的にやっていて洞察のストックが多く、そもそも「考える作業」に慣れていて速いのです。
イケハヤ師が「挨拶をちゃんとしろと言われるのが嫌だ」という気づきは良いと思うのです。個人の価値観としては十分にありえますし、僕も共感できます。でも、そこからの深みが足らない。なぜ自分は挨拶をしろと言われるのが嫌なのか、あるいは挨拶そのものが苦手なのか。そもそも、やまもと氏が「挨拶ぐらいはしっかりしろ」と言ったのはなぜか。そういうことを深めていただきたかったなと思います。
ちなみに、こういう文書の浅さや雑さともいうべきものはイケハヤ師に限らず若い人にはありがちな気がします。世の中にロジカルシンキングや言説があふれた結果、そういったモノに頼ってしまい「自分で考える」というのが意外に出来ていない。イケハヤ師のエントリがいつもそうだということはないと思いますが、今回に限って言えば分かりやすいなというのが正直な感想です。最後にぐだぐだ言い訳を書くぐらいなら、もっと真剣に感じたことを書けばいいのに、と思います。
ブログって自分語りですよね
やまもと氏は「【御礼】イケダハヤト師とのイベントにご来場くださいまして、ありがとうございました」で、
ブログにものを書き続けるということは、その時代を自分が生きたという証でもあります。
と書かれていますが、ブログは、やっぱり「自分語り」だし、それを読むのが楽しいのです。世の中がこうだ!みたいなことも「俺はこう思う!!」と書いていただきたい。それを「全世界がそう思っている(キリッ」みたいな書き方にするから炎上するんじゃないでしょうか。
Twitterのような思いつき感も楽しいけど、ブログのようなフォーマットもやっぱりいいなぁと改めて思ったと同時に、若い人向けに偉そうなエントリするなんて、自分もおっさんになったんだなぁとしみじみと感じました。