生成AIによって、エンジニアがどう変わっていくのか?という、さまざまな論考が生まれているので参戦してみます。
98年からエンジニアをしている僕からすれば「開発生産性の向上」というのは常に提示されきたテーマで、生成AIは大きなジャンプではあったものの、産業の進化としては正常な流れなのかな、と思います。
というわけで、よくある「一般的な産業の進化はこうだったから、IT業界もこうなるはず」という感じの論考をChatGPTにまとめてもらいました。
以下の第2章から4章までは、ChatGTPに文章を生成させてます。
第2章:産業の進化は、「作業」から「判断」への流れだった
生成AIがエンジニアの仕事を奪うのではないか──そんな議論を耳にするたびに、どこか既視感を覚える。
この風景は、過去にも何度も繰り返されてきたものだ。労働の現場が新しい技術に置き換えられ、役割が変わり、職種の名前が変わり、やがて産業構造そのものが変わっていく。そうした変化は、決してITだけのものではない。
歴史を少しだけ遡ってみよう。
製造業:手仕事からスマートファクトリーへ
18世紀末、イギリスで始まった産業革命は、「労働集約産業」の代表格だった製造業に最初の大きな転換をもたらした。
それまで、モノづくりとは職人による手作業の連続だった。鍛冶屋、木工職人、織物職人などが、それぞれの経験と手先の技術で製品を生み出していた。
しかし、1784年に登場した蒸気機関による自動織機は、製造業を「資本集約産業」へと変貌させるきっかけとなった。機械と工場を持つ資本家が、労働者を雇って大量生産を行う時代。人の価値は“手を動かすこと”から“機械を扱うこと”へと移っていった。
20世紀後半には、さらに大きな転換が起きる。1980年代のトヨタ生産方式(カイゼン、ジャストインタイム)は、単なる大量生産から「効率と柔軟性」を重視した製造へと変化させた。
現場のエンジニアは、ラインの一部として作業を行うだけでなく、「どこを改善すれば良いか」を考えるようになった。
そして21世紀に入り、IoTやセンサー、ロボティクスを導入したスマートファクトリーが現実のものになる。ここでは、工場のエンジニアが設備を直接操作するのではなく、「データを読み、異常を予測し、全体最適な工程を設計する」ようになっている。
モノを作る人は減ったが、「何をどう作るか」を判断できる人の価値はむしろ高まっている。
農業:体力勝負から精密農業へ
農業は、長らく労働集約型の産業の典型だった。
人が田畑を耕し、収穫し、運搬するという仕事は、体力と手間の塊であり、家族労働に支えられていた。
それが変わり始めたのは、20世紀前半。トラクターやコンバインといった農業機械の登場により、「一人の人間が耕せる面積」が飛躍的に拡大した。さらに、化学肥料や農薬といった外部資本が導入され、農業は徐々に「資本を使って効率化する」産業へとシフトしていく。
しかし、現代ではさらにもう一歩進みつつある。ドローンによる作物の生育観察、センサーによる水分量の管理、さらにはAIによる収量予測まで登場している。こうしたスマート農業では、作業者は「畑に出る人」から「データを見る人」へと変わる。
作物を育てるために必要なのは、筋力ではなく、環境と市場を読む“判断力”になりつつあるのだ。
金融:窓口事務からアルゴリズム取引へ
かつての銀行には、多くの事務員や窓口係がいた。通帳に記帳し、伝票を手書きし、電話で為替レートを確認する。これが、20世紀の「労働集約型金融」の風景だ。
しかし、1970年代にはコンピュータによる勘定系システムが登場し、ATMやインターネットバンキングが普及することで、多くの処理業務は資本=ITシステムに置き換えられた。
そして今、金融の中心にいるのはクオンツ(quant)と呼ばれる数理モデル設計者たちだ。彼らは統計や機械学習を使い、株価の動きを予測するモデルを設計し、自動的に取引を行わせる。必要なのは「紙幣の数え方」ではなく、「確率とリスクをどう定義するか」だ。
人の役割は、取引する人から、戦略を設計する人へと完全に変わった。
まとめ:どの産業でも「作業」から「判断」へと進化してきた
こうしてみると、製造業、農業、金融といったまったく異なる産業において、極めてよく似た構造の変化が起きてきたことが分かる。
労働集約から、資本集約を経て、知識集約へ。それは、「人間の価値が、手の動きから、判断の質へと移っていった」ということだ。
第3章:IT業界も「作業」から「判断」への進化をたどってきた
製造業も、農業も、金融も──すべての産業が「作業する人」から「判断する人」へと価値の源泉を移してきた。
では、我々が生きるIT業界はどうか。実はこの業界もまた、同じ道を、ただ異常な速さでたどってきたにすぎない。
1970〜2000年代:ITは「人手をかける産業」だった
1970年代、日本でも企業内に「情報処理部門」が生まれ始めた。COBOLなどを用いた業務システムの構築が中心で、電算室には多くの「オペレーター」や「プログラマー」が並んでいた。いわゆる「IT=ソフトウェア工場」という認識が、この時代に根づいていく。
特に1990年代から2000年代にかけて、IT業界は完全に「労働集約型」へとシフトする。開発工程は多重下請け構造のなかに分解され、要件定義・基本設計・詳細設計・実装・テストといった役割ごとに、無数のエンジニアが配置される。いわゆる「人月単価」の商習慣が成立したのもこの時期だ。
この時代、エンジニアに求められていたのは作業量・納期遵守・残業対応力だった。仕事の本質は、「決められた仕様を、決められたように、決められた期日までに、形にすること」だった。創造よりも実装、思考よりも再現。まさに“手を動かすこと”に価値があった時代である。
2000〜2020年代:クラウドで「資本」が価値を持ち始めた
2006年、Amazonが「AWS(Amazon Web Services)」を正式にリリースすると、ITインフラの世界が一変する。
それまでは自社でサーバーを調達し、ラックに組み、ケーブルを配線していた時代。それがボタン一つで仮想マシンを起動し、数分でスケーラブルな構成を持てる時代へと変わった。
同時期に登場したSalesforce、Slack、GitHubといったSaaS系プロダクトも、企業システムの構築を「スクラッチ開発」から「組み合わせと構成」に置き換えていった。
このフェーズで、IT業界は「資本集約型」の産業へと移行する。
データセンターや運用ノウハウ、グローバルネットワークといったインフラ資本を持つ企業が、業界をリードするようになる。Google、Microsoft、Metaといった巨大企業の強さは、テクノロジーの巧拙よりも「資本のスケール」によって決まった。
職種もまた大きく変わった。クラウドエンジニア、SRE(Site Reliability Engineer)、DevOps、セキュリティアーキテクトといった新しい名前が現れた。
従来のインフラエンジニアは、コード(IaC)で構成管理を行い、可用性や耐障害性といった「非機能要件」を設計する役割へと変わっていった。
この時代、エンジニアの価値は「作ること」ではなく、「安定して動かすこと」「壊れにくく保つこと」へとシフトする。
作業は減ったが、設計と監視と運用最適化という“判断”の要素が、じわじわと仕事の中心に入り込んできた。
そして2020年代:生成AIが「知識集約産業」の扉を開ける
2022年、OpenAIがChatGPTを公開すると、エンジニアの世界は再び激震に見舞われた。
テキストベースで自然言語を理解し、コードを生成し、データベースクエリを書き、UIの構築例まで提示できる。しかも、数秒で。
ここに至って、IT業界は「知識集約産業」への入り口に立たされた。
これまで“手を動かすこと”で行っていた作業の多くが、生成AIによって思考の断片として自動化される時代が始まったのだ。
例えば、コードを書く仕事はどうだろうか?
書けるだけではもはや評価されず、「なぜそう書くのか」「どういう構造で書くのが最適なのか」「そもそもこの機能は必要なのか」が問われるようになる。
この変化は、単なる“便利な道具の登場”ではない。
人間の労働が、実装から設計へ、構築から判断へと、根本から再定義されつつあることを意味している。
IT業界にいま起きているのは、他の産業と同じ構造転換
ここまで見てきたように、IT業界もまた「作業から判断へ」という大きな構造転換のプロセスにある。
違うのは、そのスピードと波及範囲の広さだけだ。
製造業がこの変化に200年をかけたとすれば、IT業界はわずか40年で同じ地点に辿り着いた。
しかも、ITはそれ自身の変化に加えて、他のすべての産業の変化も内側から駆動している。
だからこそ、我々エンジニアは問わねばならない。
「これからの自分の仕事は、“作業”なのか、“判断”なのか?」と。
第4章:エンジニアの職種は「作業者」から「判断者」へ再定義される
生成AIの登場により、実装や設計といったエンジニアの代表的な業務の一部が、すでに自動化されつつある。
だがこれは、エンジニアの終わりではない。
むしろ「エンジニアとは何か」が再定義される始まりだ。
従来、エンジニアは「手を動かす人」だった。仕様を受け取り、コードを書き、テストし、システムを構築する。その価値は、どれだけ正確に、どれだけ速く作業をこなせるかにあった。
しかし今後は、「何を作るべきか」「なぜそうするのか」といった判断や意味の設計こそが、エンジニアに求められる本質になる。
新たに生まれつつある職種は、その変化を象徴している。
- プロンプトエンジニア:生成AIに適切な指示(プロンプト)を与え、意図通りの成果物を引き出す役割。ツールの操作ではなく、目的の構造化と言語化が重要になる。
- テクニカルプロダクトマネージャー:ビジネス上の目標を理解したうえで、技術的な仕様を導き出し、開発チームにとって実行可能な設計へと落とし込む役割。
- ナレッジエンジニア:業務やユーザー行動を抽象化し、知識の構造として再設計する役割。データ設計やAIの学習にも関与する。
- テクノロジーストラテジスト:技術の導入や選定を事業全体の戦略と接続する役割。単なる実現可能性ではなく、組織や社会にとっての意義を判断する。
いずれも共通しているのは、「作業する人」ではなく、「問いを立て、意味を設計する人」であるという点だ。
こうした職種の変化は、エンジニアに求められるスキルや評価軸も変えていく。
これまでのように「できること」「使えるツール」ではなく、考えたこと、伝えたこと、定義したことが問われるようになる。
エンジニアとは、技術的な手段を扱う人ではなく、技術を通じて問いを形にする知的職能である。
この再定義を受け入れたとき、エンジニアという仕事はむしろ、かつてない広がりを持つはずだ。
ChatGPTによる論考はここまで。
まとめ
ここから、手書きです。やや微妙な部分はあるものの、大枠の論考としては意図する感じに出力されました。素晴らしい。
人間の役割が「作業や知識」から「判断や知恵」に移っていくでしょうし、それらを示す新たな職種も増えていきます。
さまざまな技術の知識を溜め込んだ、いわゆるフルスタッフエンジニアの価値が目減りし、一方で、「対象に対する抽象化、構造化、言語化」といった認知スキル、情報設計スキルというような領域が重要になるでしょう。
<追記:6/30>ちゃんとしたフルスタックエンジニアは「どのスタックで問題に対応するのが効率的か」を「判断」できるので、AIが出てこようが、絶対に生き残れます。問題は、フルスタックエンジニアを「作業できるスタックが増えること」だとしているエンジニアです。フルスタックエンジニアという呼称を特別に批判したいわけではありませんが、そうした勘違いへの懸念も含めて、あえて槍玉に上げました。
もちろん、こうしたスキルの重要性は、昔から変わらないことなので、分かっている人には特に変化のない話です。それらが、より注目されるだけだからです。
一方で、複雑化する技術要素を背景に「知識を身につければ食える」といわれ、エキスパートとして技術を追いかけ続けた結果、認知スキルや情報設計スキルの育成が疎かになっている人達はAIに淘汰される可能性があります。
北米界隈では、コンサル業界でもテック業界でも、さまざまな作業がAIによって代替されることを前提に就職難やリストラが発生していると聞きます。おそらく、数年後には日本でも起きてくる現象でしょうから、そのとき、どういった職種が残るのか、そして、その職種への移行はどう行なっていくのか、冷静に理解しておいた方が良いでしょう。