この記事はグロースエクスパートナーズAdvent Calendar 2024の12日目の記事です。DXはすっかりバスワードになり、提案しても嫌な顔をされることが増えてきた今日この頃です。
もうDXは起きている
DXを提唱したとされるのはエリック・ストルターマン氏(当時スウェーデン・ウメオ大学教授)です。2004年の論文「Information Technology and the Good Life」(ITと「良い生活」)では、デジタルトランスフォーメーション(以下、DX)を「デジタル技術が人間生活のあらゆる側面に引き起こす、あるいは影響を及ぼす変化」と定義しています。
the changes that the digital technology causes or influences in all aspects of human life.
すでに我々の日常生活も会社での活動も、デジタル技術なしには成り立たないので、ストルターマン氏の定義によれば、我々はすでにDXの中にいます。ただ、ここで問題なのは、デジタル技術が我々の生活に、どんな影響を与えるのか?ということです。
負のDXと、DXプロダクト
論文では米国の哲学者アルバート・ボーグマンの提唱した「device paradigm(デバイス・パラダイム)」という概念を参照しています。この概念ではデジタル技術が「忍耐もスキルも努力もなしに結果が得られる便利なもの」と捉えます。そして、デジタル技術が搭載された「デバイス(端末)」の向こう側にある現実の複雑さや深さを体験する機会が奪われ、「現実全体(reality as a whole)」に対する想像力が失われることが指摘されています。
1900年代後半から企業において業務の効率化を推進するためにシステム化や自動化が進んでいることもDXと言えるでしょう。ただ、部門別業務(HOW)の個別最適は進みましたが、裏側にある「何のために業務をしているか(WHY)」が喪失されてしまい、いざ、企業として全体最適をしようにも誰も全体感を理解しておらず、身動きが取れなくなっています。これは「負のDX」といえます。
そう考えてみると、多くのDXプロダクトが「すぐに簡単に成果が得られる」ということをアピールしており、負のDXを助長していると考えることができます。DXプロダクトによって、その部分に対する個別最適が達成できたとしても、実は、その部分の複雑さを覆い隠しただけで、その企業が全体としての本来達成すべき理想とはほど遠い状態に陥ってしまうのです。
「感じさせる」ことの重要性
負のDXに陥らずに、人々や社会を良くするためのDXを実現するために重要なのが「感じさせる」ことです。
ストルターマン氏は論文において「Aesthetic experience(美的経験)」という概念の重要性を訴えています。この概念は米国の哲学者ジョン・デューイの著書『Art as Experience』(1934年)で定義され、広まった概念とされています。
Aestheticは「感じる、知覚する」といった意味を含んでいます。美的経験とは、単に「何かの行為をした」というだけではなく、その行為の中で感じたこと、考えたこと、感情などが結びつき、経験を通じて深い満足感や達成感を覚えることをさします。美しい景色の中を散歩した時に身体に感じる「アレ」のことです。
美的経験に向けた具体的な取り組みは「デザイン」に繋がっていきます。ストルターマン氏は、現在、インディアナ大学の情報学教授で、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)、インタラクションデザイン、デザインプラクティスと哲学、デザイン理論などを専門にしており、デザインとデジタル技術の関係性を研究しています。
また、UXの分野においても米国の認知科学者ドナルド・ノーマン氏が、デザインと感情の結びつきを重要視しており、形状が美しく、機能的で、体験を通じて感情に訴えるデザインの重要性を主張していることも知られています。
ちなみに私自身は日本のプランニング・ディレクター西村佳哲さんの「デザインとは色や形ではなく、人の世界観を拡げる仕事でしょう?」という言葉が好きです。
いずれにせよ、デザインというのは「物」の見た目を作ることではなく、それを使う「人」の体験や感情を考えることといえます。利用者に、何を感じさせようとしているのか?そして、その利用者の「知覚」を通じて創造性や社会性を刺激することで、負のDXを避けることができるのです。
DXとサービスデザイン
一方で、自分たちの仕事のことを考えてみます。現状、私たちの会社Graat(グラーツ)では、(一般的に言われる)DXを目的とした方針を策定する際にサービスデザインの手法を活用しています。サービスデザインの定義は様々ですが、Adaptive Path社の「サービスブループリント導入ガイド」では、以下です。
サービスデザインとは、デザインの手法と技能を応用して、 プロダクト、コミュニケーション、やり取り(たとえば、サービスタッチポイント)、 業務運用、組織構造などの定義とオーケストレーションを行うものです。サービスデザインでは、カスタマーエクスペリエンスだけでなく、ビジネスエクスペリエンスにも目を配ることが求められます。

サービスデザインは1990-2000年頃に確立された手法で、レストランやホテルなど、リアルなサービスのデザインにも使われてきました。DXにおいては、それをデジタル向けに拡張する必要があるため、Graatではあえて「デジタルサービスデザイン」と呼ぶこともあります。
デジタルサービスデザインでは「CX(顧客体験)」「EX(従業員体験)」に加えて、「システムの機能とデータ」という3つ目の視点を強調し、それらの相互作用を明確にします。
サービスデザインの領域には様々なツールがありますが、特に「サービスブループリント」と呼ばれる手法を重視しています。サービスブループリントでは、1つの時間軸の中で様々な要素の連動と依存を表現することで、サービス全体の構造と構成を視覚化します(参照:DXの現状分析はコミュニケーションを目的にしよう - arclamp)

なぜサービスデザインがDXの役に立つのか?
我々の経験からしても、サービスデザインは実践的で効果的な手法です。ただ、なぜ、サービスデザインがDXの方針策定に適しているのかを説明できていなかったのですが、改めて「デザインとは、現実全体を感じさせ、創造性や社会性を刺激する作業である」と考えると、その意義に深く納得することができました。
DXがうまくいかない理由の二大巨頭は「個別最適」と「変化への恐れ」でしょう。DXとは全体最適によって、企業・組織・ビジネスの構造を変革する行為です。各部門が個別最適や現状維持にこだわっていると改善はできても、変革は起こせません。
一方、サービスデザインを利用することで以下のような過程を経ることができます。
- 様々な関係者がコミュニケーションを通じて、現状の企業全体が視覚化される
- 個々人が自分の部門のことだけではなく企業全体のことを「感じられる」ようになる
- 今後のあるべき姿に向けて議論をして、その結果を視覚化していく
- その中で企業全体が成長する未来の姿を「感じられる」ようになり、変化の恐れが薄れていく
サービスデザインは、従業員に会社全体の現在と未来を「感じさせる」ための手段です。DXによって起きる変化は直接的には目に見えません。だからこそ、現状がどうなっているか、そして、DXが何をもたらすのかを「感じさせる」ことは重要です。「感じさせる」ことによって目的意識が共有され、全体最適に想いが至り、組織全体としての新たな価値創造を促すことができるようになります。
最後に
生成AIの登場によってデジタル技術が現実に与える影響は益々強くなっています。もちろん、ポジティブな変化もたくさんあるでしょうが、残念ながら、ネガティブな影響もあるでしょう。その中で我々自身が社会を良くするために求められるのは技術力だけではなく、デザイン力や倫理観であると思っています。そういう矜持を持って日本のDXに貢献できたらいいな、と思っています。